手もとに中国語辞典(講談社の中日辞典)があって、表紙裏が部首一覧になっていて、そこで部首索引のページを確認して部首索引に行くしくみになっています。漢和辞典もそうだし、いままで別に疑念を抱いていませんでした。読める字ならばいまの辞典は親字がabc順、アルファベット順に並んでいるのでそれで調べられるし、読めない字ならば部首で引くしかないよね。訓読みとか日本読みわかっている字ならば日本人向けの音訓索引のページもあるし、この辺がベストなのだろうなぁ、と思っていました。
ただ時々部首索引の中にない字があって、部首の別の方、たとえば偏でなければ旁、構えでなければ、中の字で引く、と有ったりするのでルールを知りたいと思っていました。
漢和辞典(大修館書店 漢語林)をみたら、次のように書いてありました。
意符と音符 「聞」は門部でなく、耳部に所属する。それは耳が聞の意符(門は音符)だからである。「問」が口部、「悶」が心部であるのも同じ理由による。
あらためて、中日辞典で闻、问、闷を調べてみると、なるほど「门」のところにはなくて、それぞれ、耳、口、心のところにある。
しかし、漢和辞典の一番最初に書いてあることが、中日辞典の凡例に書いていないのはどういうわけでしょうか。それに、索引なのだから同じ字が2箇所にあってぜんぜん問題ないと思うのはわたしだけでしょうか。闻も问も闷も「门」のところに入れない理由がわからない。耳、口、心のところと「门」のところの両方にあっていいと思います。
ちなみに、中国の辞書、现代汉语词典をみてみたら、なんと、「门」のところにすべてありました。中国人でさえ、こうしているのに、日本人はなにをこだわっているのでしょうか。だいたい読めないから引いているのですから、音符かどうかなんてわかる場合もあるかもしれないけれどわからない場合はどうしろという考えなのか。
想像するに、学者はご老体が多いので、説得できなかったのだろうなぁ。不思議です。