🎹 ショパンコンクールを聴きながら――プロの「ミスタッチ」は日常茶飯事である
はじめに
ショパン国際ピアノコンクールの予選を聴いていると、
ピアノを弾く友人が「今ミスったね」「またミスタッチした」と呟くことがあります。
しかし、私には音が外れたようには聞こえません。
本当にそんなに間違っているのでしょうか?
プロのピアニストでも、そんなに頻繁にミスタッチするものなのでしょうか?
🎵 1. 「ミスタッチ」は“普通に”起きる
まず確認しておきたいのは、
プロでも、普通に違う鍵盤を弾くミスが起きるということです。
これは珍しいことではなく、むしろどの演奏にも必ずあるレベルの出来事です。
- 指が滑って隣の黒鍵を触ってしまう
- 和音の構成音を1音落とす
- 同音連打のうち1発が鳴らない
- 急速パッセージで音が2つ逆順に出る
こうした“物理的なミス”は、プロでも完全には避けられません。
一曲に数千回の打鍵がある以上、確率的にも必ずどこかで起こります。
🎤 ショパンコンクールの出場者全員、どこかでは必ずミスしています。
それが人間によるライブ演奏の現実です。
🎧 2. 「違う音を弾く」以外にもある“音楽的ミス”
とはいえ、ピアニストが「ミスタッチ」と言うとき、
単に「音を外した」だけを指すとは限りません。
広義の意味では次のような乱れも含まれます:
- 音が浅く抜けて鳴らなかった
- 音の粒が不揃いになった
- フレーズの呼吸がずれた
- ペダルが早すぎる・遅すぎる
つまり、「ミスタッチ」には
“違う鍵盤を弾いた”という狭義の意味と、
“音楽の流れが乱れた”という広義の意味があるのです。
🎚️ 3. スタジオ録音では「ほぼ完璧」に聞こえる理由
ライブと違って、スタジオ録音ではミスをしても何度でも録り直せます。
- 1曲を20〜30テイク録音し、良い部分を編集でつなぐ
- 一音単位で修正することもある
- 結果として、完成音源にはミスタッチがほとんど残らない
私たちがCDで聴いている「完璧な演奏」は、
“1回の完璧な演奏”ではなく、
“複数テイクを編集で組み合わせた理想像”
なのです。
ただし、編集をやりすぎると不自然になるため、
名演奏ほどごく軽微なミスをあえて残すこともあります。
(ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、ツィメルマンなど)
🎥 4. ショパンコンクールは「完全なライブ」
ショパンコンクールの予選は完全ライブ演奏です。
もちろんリテイクも編集もありません。
だからこそ、
ほぼ全員がどこかで“違う音”を弾いています。
- 音が抜けたり、隣の鍵盤に触れたりするのは日常茶飯事
- ただし一流のピアニストは、瞬時にリカバーして流れを乱さない
- 音楽が止まらなければ、それは致命的ではない
審査員は「何音間違えたか」を数えているのではなく、
「音楽の方向性と集中を保っているか」を聴いています。
🧠 5. 審査の基準は「正確さ」より「音楽性」
審査員が重視するのは、音の数の正確さではありません。
| 評価項目 | 内容 |
|---|---|
| 音楽性 | フレーズ、詩情、構成力 |
| スタイル | ショパンらしさ、時代様式 |
| 音色 | タッチの多彩さと音のコントロール |
| 精度 | 技術的安定性(ミスタッチも含むが絶対ではない) |
正確無比でも音楽が平板なら評価は上がらず、
多少のミスがあっても、詩的で感動的な演奏が上位に残ります。
🌿 6. ミスタッチ=失敗ではない
ミスタッチは「演奏の欠陥」ではなく、
人間がリスクを取って表現を追求している証です。
守りに入れば安全ですが、音楽の生命力は失われます。
一流の演奏家ほど、あえてギリギリを攻め、結果として
「外すこともあるが、心を震わせる演奏」をします。
💬 結論
ショパンコンクールで「全くミスをしない」人はいません。
それでも音楽を崩さない人が、本当に上手い人です。
ピアノ演奏は、人間の集中・身体・呼吸が作り出す瞬間の芸術。
ミスタッチはその中で生まれる「人間らしい誤差」であり、
その“揺らぎ”こそがライブの感動を生むのです。
🎧 聴き比べてみたい
この2つを聴き比べると、
「ミス」と「音楽の生命力」の関係が実感できます。
🖋️ まとめの一言
ミスタッチは起こる。
それでも音楽が生きていれば、それは“美しいミス”だ。