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標準語

読書感想


日本語とか、標準語とかを辞書で引くと、東京山の手の言葉をベースに作られたというようなことが書いてあって、以前からとても疑問でした。というのが、いわゆる山の手というのをたとえば新宿あたりとすると明治初期にそんなところに共通言語が生ずるコミュニティはない。神田とか、銀座とか神楽坂というならともかく、そもそもおかしい。
最近、水なんとかみなえ(水村美苗)の本、「日本語の亡びるとき」を読んで、彼女が日本近代文学のことを書いて、旧仮名遣いのことを書いて、古典のことを書いて、でも標準語がおかしいことについて書いていないのが不思議でさらに疑問が深まって、そこで。

近松西鶴を読んでみたらなんと日本語なんですよね。あと武士言葉。

つまりわたしの結論:

江戸時代、当然話し言葉は全国通じない。それでは政治も経済も動きませんので、文語体で候文で文書はやりとりされた。これがまず共通語のベース。武士は口でもほぼこの形式で話していた。だから薩摩藩士が江戸で交渉に当たれたのですね。
一方、近松西鶴、その他大衆文芸は人々の口語を取り入れようとするが、大阪や江戸の口語で書いても日本中で通じない。そこで、文章にする際に、口語と文語の折衷のような文章を編み出した。それが社会的に認識され、武士語、文語の口語体のようなものが標準語としてゆるやかな認識を得て行った。
明治維新になって、標準語の必要が出てきた際、その一般認識に最も近い言語が話されていたのが、東京の武家屋敷界隈であった。屋敷町や宿場町がいろんな出身地の人が集まるところであるため、標準語として一番先進的な地域であったところから、この言語が標準語として選ばれることとなった。ベースに古文の文法があることから、標準語としての文法体型がしっかりしていた(大阪弁やべらんめぇ口調と比べて)ことも標準語の重要な要素となった。

どうでしょうか。つまり近代日本語は明治政府が作ったのでもなく、夏目漱石が作ったのでもなく、学校で教えたから広まったのでもなく、江戸時代に出来ていた、という考えです。

同じようなことが中国語の北京語(普通語、普通话)にも言えて、という話は話がややこしくなるので別途書きます。